美しの沼

客席より愛を込めて。

宙組公演 『双頭の鷲』

その舞台上には美しいものしかありませんでした。

 

Musical 『双頭の鷲』~ジャン・コクトー「双頭の鷲」 より~

原作:“L’AIGLE A DEUX TETES” by Jean COCTEAU   脚本・演出:植田 景子

会場:KAAT神奈川芸術劇場

主演:(専科)轟 悠、(宙組)実咲 凜音

 

公演解説 | 宙組公演 『双頭の鷲』 | 宝塚歌劇公式ホームページ

ミュージカル好き、宝塚好きなら知らない人はいないのではと思われる「エリザベート」はオーストリア皇后のエリザベートの生涯を元に創作されたウィーン発のミュージカルですが、この「双頭の鷲」もフランスの劇作家ジャン・コクトーJean Cocteau)がエリザベート暗殺事件を元に創作された芝居。

双頭の鷲という名前からして、ハプスブルク家のことかなという印象で、つまりはミュージカルのエリザにおけるトート(死、そして愛と自由を含めたこの作品のテーマを具現化したキャラクター)がいなくてエリザとルキーニに因縁があったように描いた作品ということかなと思っていたら、エリザベートとルキーニっぽいキャラクターの全く別の物語でした。双頭の鷲も暗にハプスブルク家を現しているところもあるだろうけど、むしろ決して離れられない二人をイメージして付けられたタイトル。

 

全体の印象

古典とまでは言えないが1940年代のフランスの芝居、しかも元々の登場人物は6人ということで、前情報だけだと宝塚で21人のミュージカルにして大丈夫なのかと思っていたけど、これがまぁ、むしろ宝塚のためのような作品だった。

話がそもそも宝塚および塚ヲタが大好きな愛と死をメインにした筋書きで、冷静に思い返すと、基本的な流れは荒唐無稽というか突っ込みどころが多すぎる。

でもこれは植田先生の演出とか訳のせいではなく、おそらくは元々の戯曲通りなのではないかと思われる。「エリザベート」っぽい状況の王妃と王妃を殺そうとする暗殺者の二人の物語ではあるけど、冒頭でこれは虚構であると言い切るのです。ストーリーテラーの口からハプスブルク家のルートヴィッヒやらルドルフやらモデルのエリザベートの名前も出てくる中で、彼らと同じようにまるでフィクションの不幸な王妃(最後まで名前はない)が現れる。みんな、これを見たらモデルはわかってるだろうからそれ以上の細かい部分なんていいだろう?っていう脚本自体から軽薄さすら感じられるのだけど、要するに「そういうスタンス」で作られたんじゃないかと思う。

よくよく話を聞いていても、この王妃は10年前、めでたい婚礼の日、愛する未来の夫が暗殺され、婚礼の儀式を待たずして未亡人になっている。そもそもその時点で王妃は王妃なのか?とか、王妃と王太后らの一派が対立したまま10年ってその国大丈夫なのかよとか言いたいことはたくさんあるけど、観てる間はそんなことはフィクションでファンタジーなので気にならないというか気にしません。

本筋に登場する人物は原作の6人のみで、そのほかの人物はストーリーテラー、そして物語の行方を観る傍観者として、彼らは時には美しいコーラスを奏で、踊るが、基本的に物語に関与しない。これについて、やっぱり宝塚の組子のファンは賛否両論なようで、その気持ちはわかる。もっと出番を!贔屓にセリフがない!!おそらくそういう気持ちもあるんじゃないかと思うが、傍観者がいることで、常に人に見られ噂されている「王妃」の緊張感や、この舞台の究極な美=虚構であることを際立たせるための仕掛けとしては面白いんじゃないかと思う。

ただし、もう少し人数は絞っても良かったかもしれない。出演者21人。キャストは戯曲の6人とストーリーテラーで7人。それ以外は本当にコーラスワークに必要最小限な人数で役のあるキャストたちにも影コーラスで参加させるくらいすれば、もう少し絞れたかもしれない。

ストーリーテラーは二幕冒頭ではアコーディオンまで抱えて、この舞台はストーリーテラーによる耽美な箱物語とそれを観る人たちでできた作り話だとしっかり認識させる。さすがにストーリーテラーが語りすぎなのではと思う部分もあったが(その他の傍観者パパラッチのSみたいにして代表して語るくらいでもよかったのでは)、それでも舞台は美しい。時に醜悪だったり、悲しかったり、緊迫したりするシーンも全てが美しい。

 

演出の景子先生の美へのこだわりは時に重すぎると大劇場ものでは結構賛否があるのだけど、小劇場作品ではこだわりが演出、脚本、装置、楽曲のすべてに行き届いている、貫かれているので、宝塚に求めているものの一つ、耽美が全く揺らがない舞台ということで、私はこの舞台、とっても好きです。

元々がそういう戯曲なのに、演出の植田先生の趣味というか美意識全開で、さらにデコラティブというのか美しいセット、衣装、演出だった。その中で演じているキャストたちの芝居は見事で、これがチープだと、せっかく作り上げた耽美が安いものになってしまうので、美しいコーラス、美しいダンス、繊細な芝居によってこの美しい舞台が完成されていたんじゃないかと思う。

芝居に見ごたえがあったから、観終わった直後は(今回の演出で)外部でもこの舞台が観たいと思ったけど、少し冷静に思い返すと、少なくとも『双頭の鷲』を宝塚以外でやるならこの演出は変えないとダメだろうな。この過剰な美はおそらく宝塚だからこそだロウな。 

セットがモダンで、ダンスが美しいなぁと思ったらセットは松井るみさん、振付は大石裕香さん。植田先生の美意識を表現するための鉄板の布陣。

割と近い席だったので、パッと見、ちょっと安っぽく見える部分も正直あったのは残念ではあるんだけど、おそらく客席中央のセンターあたりから見た時に、完璧に美しい透明感のある装置になってる。曇りガラスの壁で人物の影を透けさせ、常に人に見られている状況を作り出し、ビニールと白の布で覆われたセットにアンサンブルは全員黒の衣装。それが王妃の覚醒と共に色数が増えるというのもシンプルだけどパッと視線を奪われる。耽美好き女子はこういうの好きです。

 

キャストについて

スタニスラス役の轟理事。生で観るのは久しぶり。

相変わらずの年齢不詳な彫刻のような美しさ、しかし女性的でも全くない。男役の究極の姿。まさにこの物語では10年前に暗殺された王にそっくり、王妃は王の彫刻にキスをする、、なんて設定があるので、そこはとても良かった。たった三日間で王妃と恋に落ちる、「王族的精神を持つ無政府主義者」と言う不思議な色気と華を持った人物が確かにそこにいる、場作りは見事。

細かいところに目を向けると轟さんは元からちょっと声はこもりがちなので(だからこそ若くして演じたルキーニはハマリ役だったのだと思う)、台詞は聞き取りやすいとは言えない。10年前に亡くなった王とそっくりということであれば、もしかしたら若い俳優が演じてもいい役なんじゃないかとも思ったり。今回は理事によってカンパニーがすごくまとまった部分はあるのだろうけど、いつまでセンター(主役)でいるのかを、劇団はそろそろ議論しても良いのでは。

 

王妃役のみりおん(実咲)。エリザベートでシシィを演じてからの王妃役。

もともと今っぽさがちょっとないから地味な印象だけど、顔立ちは綺麗なので、轟さんとの並びは予想以上に美しく、この舞台に求められる素晴らしい王妃でした。歌も本当に娘役としては完成された域にあると思う。黒のドレス姿の美しさ、歌声。この双頭の鷲の王妃は、みりおんの代表作と言っても良いのではないか。

芝居はまずは膨大なセリフ量を淀みなく「王妃」として言いきったことはすごい。品もあってよかった。ただ彼女の強いセリフまわしが若干キンキンするところがあるので、それもある意味「王妃」の不安定さ、嵐を喜んでる姿など、私には合っている様に思えたけど、もう少し朗々とセリフが言える娘役が演じればまた違う「王妃」になるかもしれない。

 

フェーン伯爵の愛ちゃん(愛月)。

とにかく見た目が本当にかっこよくて腰抜けそうになったわ。。あの軍服姿の愛月さんのビジュアルが嫌いな宝塚好き女子はいないと思う。歌もルキーニを経てだいぶマシになった。が、曲そのものがなんというか作品から浮いた印象だったけど、あれは植田先生の演出だったのか、それとも愛ちゃんに歌えるソロ(メロディ)にするための調整だったのか。そこだけが確信を持てなかった。あとは滑舌、もうちょい、セリフの聞き心地がよくなるといいなぁ。

 

王妃の読書係、エディット役のあおいさん(美風)。

役が少ないので副組長であり、歌も芝居もうまい美風さん。安心して観ていられるけど、さすがに、フェリックス(桜木)の婚約者というのは無理があるのでは。王妃のそばにいながら、王妃の味方ではなく、フェリックスに対してもすごいもの言いをすることからして、なかなか若い子をキャスティングするのは難しいのはわかる。けれど、この役はもう少し若い娘役で観たかった気もします。あおいさんにはパパラッチの中の王太后やコーラスソロをやっていただくのでも良かったと思うけど、どうでしょうか。

 

亡き王の友人であり、王妃に仕えるフェリックス・ド・ヴァルレンスタイン公爵役はずんちゃん(桜木みなと)。

贔屓ということもありますが、歌もお芝居もすごく丁寧だったように思います。エディットとの芝居はなかなか本公演でも演じられないような設定でのセリフの応酬だと思うし、ソロも非常に難しい音程だったにもかかわらず、耳に優しい歌声。目覚めた王妃に向ける笑顔は本当に彼が王だったら幸せになれるのにと思うし、エディットとの関係、その後のラストの終わり方からして、彼は全く幸せになれないのだけど、ずんちゃんのフェリックスの見た目と芝居のピュアさが、それをより切なくさせる。

ルドルフとフェリックスと立ち位置は違えど王妃に想いをかける純粋な男性が続いたので、ぜひ次は癖のある役でも観てみたいです。

 

ストーリーテラーの和希くん、ストーリーテラーが必要だったかどうかという議論はあるにしろ、与えられたセリフを、とても聴き心地よく言うことのできる人、さすがです。

そしてセリフはありませんがトニー役の穂稀くん、そしてパパラッチの他のキャストさんも見事でした。パパラッチの中ではメガネのかっこいい人が気になったので、パンフで確認、おそらく七生くん。目を奪われました。

 

 

美しいものが観れると思って劇場に足を運んで、本当に板の上に美しいものしかなかった。

フィクションとわかってその美しい箱庭芝居を観る。贅沢な時間。